誰もが理想とする完璧な人類は存在しないので、誰かと違う自分や誰かを認めないのはオカシイ事

金子みすゞの詩の中に、みんなちがってみんないいと言うフレーズのある詩がありますが、出来れば世界中もこの詩の様な考え方をベースにした思考になって欲しい気がします。

と言っても、どうにも止まらない差別の問題は、みんな違っているけど完璧な人じゃない!と、何かを基準にした完璧な人類像を理想に掲げて、それに似ている又は近い人だけ認めている風習に感じるのです。

その、完璧な人類と言うのが一体どんな人なのかは分かりませんが、人種や肌の色や髪の色も超越した究極の存在で、どこかの人なら神と呼ぶかもしれないしモンスターと呼ぶのかも知れないし、幻想世界の住人だと認識する人も居るかも知れない、そんな存在に近ければ近い程良い人と言う認識を改めなければ、悲しい思いをする人が減る事は無いと考えられるのです。

誰の心の中にも存在するかも知れない、基準とされているどこかの誰かの様な状態に誰もが近づければ良いのかも知れませんが、そうなると人それぞれの個性が無くなりそうになりますし、それぞれの人の良さや特徴も無くなってしまうかも知れないのです。

なので実は差別と言う状態は、自分自身がその理想としている何者かに近い存在でありたいがために、理想の誰かよりも遠い存在に見える人を排除しようとする行為なのかも知れません。

この世に存在している人は全員誰とも違っていて誰とも似ていなかったりしているので、誰かと違う事を責めたり嘆いたりする事は、実は生命が存在して行く意義さえ否定している可能性もあると考えられるでしょう。

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